Edu Memo

教育に関するあれこれ。忘れないようにメモ。

スウェーデンの保育・幼児教育~保育における民主主義を考える~

保育事業者のグローバルキッズさん主催のシンポジウム「世界の保育・幼児教育を探求する~スウェーデンの事例から日本のこれからの教育・幼児教育を考える~」に参加したのでメモ。

 

「諸外国の取り組みを単純に取り入れても、うまくいかない」

汐見稔幸先生(東京大学名誉教授・日本保育学会会長)の講演「これからの保育・幼児教育~諸外国と日本」が今回のシンポジウムで一番面白かった!頭の回転が早すぎて、当方7割くらいの消化率だけど。。

 

汐見先生からまずあった話は、歴史や生活、文化などは国によって違うので、単純に諸外国の取り組みを取り入れてもうまくいかないことが多いし、できてもすごく表面的な模倣になってしまうという注意。

違うことはいいこと。「文化は違いがあるから豊かなんだ」「違うということの価値を認めるべき」という言葉がとっても印象的だった。

 

じゃぁどうする?というと、自分たちの今のやり方をしっかりと分析し、今の時代に合わなくなったこと等をしっかりと洗い出す・・・単純に言うと、課題を洗い出したうえで、外国のシステムから学びましょうってことだそう。

(これほんと大事。北欧社会にも問題点はあるし、日本もいいところあるよーと思うんだけど、具体的に何?っていわれると、まさに分析ができてなくて歯切れよく話せない自分が思い当って反省した。。)

 

日本の教育の問題点

汐見先生はいくつか日本の教育の問題点を挙げていた。その多くは、良いところの裏返しでもあるのだけど。

(1)異年齢で群れて遊ぶことがなくなった

70年前は、近所の子たちが集まって、異年齢で遊ぶことが多かった。まず、これは、①多様な人間関係を処理する能力が育つという点ですばらしい学びだったらしい。

例えば、異年齢のグループをまとめる力。昔のガキ大将がビジネスで活躍するってのはよくあることで、社会では異年齢の組織の中で活躍するというのはマストな力なのである。

また、②異年齢で遊ぶことで「にーちゃんかっこいい!」という憧れ=ナナメの関係が生まれるという利点もある。(よくいうロールモデルというやつか。)

 

一方で、今の日本は、「みんなで一緒にやるということが大切だ」というムラ社会的な感覚が強く残ってしまっている。それはそれでいいことなんだが、外国からしたら、運動会や体育の「まわれー右!」みたいなのは軍隊か!というツッコミが入るものらしい。。

例えば、欧米では、シュタイナー教育も、モンテッソーリ教育も、3~5歳は1つのクラスになるらしい。日本は子どもの数が多いから仕方ないのかもしれないけど。

(同じ年齢の人たちだけで集まる組織って、人生通して日本の学校くらいだよね、ほんとに。)

 

(2)察するのはOKだが、「おせっかい」はNG

海外の教育者からすると、日本の教育現場はおせっかいすぎるらしい。つまり、子どもの学びに手を出したり、声をかけたり・・・が「やりすぎ」だということ。

これは、子どもたちに共感ができる人たちで素晴らしい、とも捉えられるのだけども、察しの文化を超えて、おせっかいになってしまったら、それじゃぁ子どもが育たないよねってことらしい。

だから、外国では「やりたいペースでやらせて、それを見守る」というスタンスでいることが多いらしい。

 

発達学的に言うと、自分のやりたいことを自分のペースでやることってすごく大切なんだって。「やりたいことやらせるとワガママになるのでは?」と思う人が多いが実は逆で、やりたいことを抑えられると逆にワガママになってしまうのだそう・・・。(あーなんか思い当る)

 

(3)丁寧さはいいが、大胆さがない

日本人は明治中期までの職人文化が根付いているのか、今日の教育現場についても「子どもたちに対してすごく丁寧」。

でも、一方で、大胆さが足りない。これは、たぶん外遊びができないっていうことも関係しているのだろうけども。

 

(4)どういう社会を作りたい?というのがない

日本には「市民」(※citizenの方の市民)が少ない。市民には、私たちが主体となって社会を作るっていう意味が含まれているらしいのだが、これがないとのこと。

※市民とは、理想とする社会共同体の政治的主体の構成員(ググりました)

 

実は、日本の教育がうまくいっていた時代というのがあって、それは戦後1950年代。このころは、「もう2度と戦争をしない」「民主主義国家を作ろう」「産業社会にしよう」・・・という風に、こういう社会を作ろう!というのが明らかだった時代。この時期は、教育の教材が一番多く作られた時期でもあるんだって。

 

だから、これから「こういう社会を作りたいというのをもっと議論しよう」そして、子どもも市民なのだから「子どもの意見も取り入れよう」。

そのためには、意見を言うこと&人と違うことを楽しめるようにならないといけない。先生の「違うがたくさんあることが豊かさになる」という言葉がとってもとっても印象的だった。

 

日本の課題にヒントをくれるスウェーデンの教育

そんな課題を聞いた後に、スウェーデンの保育現場で実績を積んでいらっしゃるカミラ・リンドグレンさんとツーラ・トーロさんのお話があった。お二人の話にあった(個人的な)ポイントは、以下の2点。

・子どもが意見を言う、決める

・子どもが自分も影響を与えられるということを学ぶ

 

あぁこれまさに市民の形成につながるものだなって思った。「自分が選挙に行ったって、結局何も変わらないんだから」と、選挙に行かない知人が言っていたから。

 

デンマークと同じく、「選択」に重きを置く

スウェーデンの就学前学校のカリキュラムには、「民主主義的な人権尊重の価値観を定着させること」が任務としてはっきり書かれているんだそう。

スウェーデンの人たちにとって、「民主主義」とは、単なる多数決ではなく、「自分たちの手で、自分たちの社会を作ること」。あぁめっちゃかっこいいやん。市民やん。

 

そして、「人権尊重の価値観」というのは、まさに先日のデンマークの教育と同じく

・ひとりひとりの「らしさ」が発揮されることであり、

・「やりたいこと」「好きなこと」ができること。

それは、ただ手袋の色を何にするか選べるという意味だけでなく、授業で何をやるかまで子どもたちが関与して決める(=選ぶ)ということ。

(何故これで授業が成り立つのかが日本人の私にはさっぱりなんだけど、)子どもは自分が決定権に関与すると、自分で責任を取るらしい。

 

だから保育チームは、子どもたちが影響力を行使することに責任を持つ意欲と能力を育てることを目的にするんだと。

 

やりたいこと(希望・意欲・目標)⇔やるべきこと(義務・責任)

関東学院大学の久保健太先生が最後にまとめていて印象的だったのが、日本はやるべきこと(義務・責任)に重きを置きがちで、北欧はやりたいこと(希望・意欲・目標)に重きを置いているということ。

北欧の教育にはヴィゴツキーさんという人の思想が取り入れられているらしく、彼の思想には、「ココロが動けば、カラダは動く。カラダが動けば、アタマは動く」という考え方があるらしい。だから、ココロを一番大切にした教育をしているのだと。

 

結論としては、前に参加したデンマークの教育の結論とほとんど同じだった。実は教育の専門家が考えていることって、みんな同じなんじゃないかって思ってきた。

日本の教育には「子どもたちが選択すること」が欠けていて、結局それは日本社会の民主主義の弱さの原因になってしまっている、ということだ。